野坂のブログ

遊戯王のあれこれ

雑記

Twitterでの活動は辞めましたが

ブログはちょいちょい書いていきます。

 

ちなみにTwitterをやめた理由はいくつかあるんですが

1番大きい理由が暴露の内容が洒落にならないレベルになったから。

今までは外野席でビール片手に野次を飛ばしてたんですが

気づいたら爆弾抱えてベンチに座ってました。

 

野坂です。おひさ。

 

 

今日は愛の持つパワーについて話していこうと思うので

引き返すなら今です。

「ははーん、怪しい宗教にハマったなこいつ」と思った方。

勘違いです、やめてください。

 

では、始めます。

 

自分が被害にあっていなくても遊戯王というコンテンツを使った詐欺は

ものすごく腹が立つし、公式のイベント運営体制がgdgdな時とかも

ものすごく腹が立って「ねぇ、ちゃんとしようよ!」ってなるんですね。

昔、そういうタイトルのPCゲームがあって通称「姉しよ」って呼ばれてたんですけど

それはまた別の機会に話します。

 

そもそも、なぜ自分がこんなにも腹が立つのか?

ということをふと考えたんです。

実際、他のコンテンツで同じようなことが起きても一切腹が立たない。

ドラゴンボールヒーローズポケモンカードでは感情が揺れ動かない。

エアフォース狩りやたまごっちの転売の話きいても「大変そうだなぁ」くらいしか思わない。

なのになぜか遊戯王だけ異常に心が熱くなる。自分の中で辿り着いた答えが

 

遊戯王というコンテンツに愛着があるから。

 

なぜ愛着があるかというと

遊戯王というコンテンツのおかげで子供時代に救われた経験があるから。

 

 

今、人生の岐路に立っているということもあり

改めて自分のことを語ってみたいと思います。

 

私は親が教師ということもあって家庭環境が無駄に厳しく

ゲームや漫画はもちろん、TVでバラエティ番組を見るのも禁止されていました。

(見ていいのはニュース番組とNHKのみ。)

 

この環境に置かれると、1番困るのが学校で皆の話題についていけないことなんですね。

当時、クラスの話題といえば「昨日の〇〇って番組見た?」

という軽いジャブから始まるのが当たり前でした。

 

幸いなことに当時の私はキング・オブ・陽キャ

歩くコミュニケーション能力でしたので

話題についていけなくても他でカバーできたのですが

一歩間違えばイジメの対象となっていても可笑しくなかったな。と今にしては思います。

親としても大切な我が子を思うが故の行為だったんでしょうから

特に責めたりしませんし、教育者が我が子の教育を間違えるのはよくある話みたいです。

ただ、その結果どうなったかをしっかりその目で見てほしいですね。こうなったよ。

 

そんな歩くコミュニケーション能力だった私も皆の話題についていけないのは

やはり寂しかったですし、なによりキツかったのが記念日でした。

 

例えば冬休み直前、クラスの話題は勿論クリスマスプレゼント何もらった?

になるわけです。まぁ、当然ですよね。

「新作のゲームソフトを買ってもらった!」

とかいってキャッキャウフフしてるわけです。

 

そんな中、野坂がもらったのダイヤモンドゲームでしたからね。

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誰が一緒にすんねん。

 

誕生日とかも大体そんな感じです。

 

ちなみに野坂、けん玉とお手玉と竹馬と一輪車は

アホほど上手かったです。他にすることないから。

あと絵もよく描いていて、絵の上手さなら他の追随を許さず

いくつか賞も獲りました。他にすることないから。

 

そんな一人もののけ姫みたいな学生生活を送っていた野坂に一陣の光が射しました。

遊戯王カードとの出会いです。

 

うちの父親は休みの日にはよくおもちゃ屋に連れてってくれました。

とはいえ、ゲームは買えないのでいつもガラスケースの向こうの

トランペットを眺める少年状態だったのですが

ある日、そのガラスケースの中に入ってきたのが

遊戯王のSTARTER BOXでした。

 

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1999年3月18日発売。

遊戯王の連載は1996年9月30日号から始まっており

このSTARTER BOXが発売される少し前の時期には

東映制作の「遊☆戯☆王」 劇場版が公開されているので

既に有名なジャンプ作品だったんだと思いますが

当時の野坂は全く知りませんでした。

だって漫画禁止だし。

 

ただ、このSTARTER BOXをガラス越しに発見した時

ものすごく惹かれるものがあり

生まれてはじめて親に物をねだったのを未だに鮮明に覚えています。

小さい頃からずーっと母親に「うちは貧乏だから。」と言われ続けていたので

物を買ってもらうこと自体にものすごく抵抗がありました。

その気持ちを押し退けてまでおねだりしたもんですから

そりゃあ鮮明に覚えています。

 

(ちなみにうちは別に貧乏じゃありませんでした。

もう、本当にその嘘何なの!?何が目的なの!?って感じですが。)

 

それからはお店の近くの階段で遊戯王をしている人に

ひたすら話しかけてデュエルしてました。

時にはファイルのコレクションを見せてもらったり。

 

そうやって遊戯王を通じて一気に世界が広がりました。

今まではクラスの人としか関わってこなかったのに

気づけば何人もの年上の知り合いや遠くに住む同級生と知り合いになり

井の中の蛙が大海を知った瞬間でした。

良いことも悪いことも含め、知り合った人達からは色んな事を教えてもらいました。

 

当時はヂェミナイ・エルフとメカハンター、そしてデーモンの召喚。

このカード持ってるやつが優勝な環境だったので

今でもその辺りのカードには特別な思い入れがあります。

 

時が経つに連れ、次第にクラスでも遊戯王をする人が増え

話題の市民権を得ることにより毎日が楽しくてしょうがなかったです。

 

そんな野坂が遊戯王を離れたのが中学3年生の時です。

禁止されていたゲームが解禁されました。

(ただし、親はゲームを買わない。買うなら自分のお小遣いで。)

 

当時はPS2とか出てましたけど、速攻でスーファミを中古で買い

クラスのみんながかつて話題にしてたゲームをやりまくりました。

その後、漫画も解禁され…どんどん沼に…

 

禁止されていたことによる反動はすごく、

遊戯王に費やす時間はどんどん無くなっていきました。

 

今こうしてガッツリ復帰して、空白期間の知識をかき集めていますが

遊戯王も20thを迎え、芸能人でも遊戯王好きを公言している人や

You Tuberがコンテンツを盛り上げてくれている中

最高の環境を作り上げていってほしいと、叶うのならばその一員になれたらと切に思います。

 

でも、今の環境では

「もっと 姉、ちゃんとしようよっ!」です。

 

 

おわり